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野球ドラフト指名拒否。その後再指名されなかった10人の男たち

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ドラフト再指名されなかった10人の男達

ドラフトの季節が近くなると、話題になるのが、「過去のドラフト事件簿」今でこそ少なくなってきましたが、ドラフト指名をされたが拒否する選手もいました。今日は、ドラフト拒否後、再指名されなかった選手を紹介します。

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再指名されなかった10人の男達

選手名ドラフト年指名球団順位進路
 山口裕次郎2016年日ハム6位JA東日本
 諏訪部貴大2009年中日3位HONDA鈴鹿
 高見 泰範1995年阪急5位東芝
 佐藤雄偉知2014年中日育成1位HONDA鈴鹿
 尾崎健夫1971年ヤクルト3位プロゴルファー
 石井章夫1996年大洋2位東京ガス
 開田博勝2000年オリックス5位三菱重工
 斎藤義典1996年近鉄5位本田技研
 杉山孝一1985年ヤクルト5位日本製鉄
 増永祐一1984年ヤクルト4位日本石油
 

プロ野球への道を拒んだ理由を一挙に紹介します。

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山口裕次郎

山口裕次郎
Yahoo!ニュースより引用
ドラフト年:2016年
指名球団:日ハム6位
進路:JR東日本
理由:指名順位の低さ
山口裕次郎投手は3年生の夏に『寺島』との左腕コンビで甲子園に出場したのは記憶に新しいですよね。ドラフト指名される前から『4位指名以下ならJR東日本に進む』と宣言していました。しかし、大谷翔平を説得した実績を持つ日本ハムが山口選手を強行指名。その後入団拒否に至りました。

ドラフト下位指名の苦悩

「ドラフト下位指名をされる」同じプロとはいえ雲泥の差があります。ドラフト下位の場合は、大手企業の社会人野球の進路を進んだ方が、安定した人生を送れることは間違いないのです。

ドラフト1位
契約金:1億円
年俸:1600万円
キャリア:引退後スタッフ

ドラフト下位
契約金:2500万
年俸:690万
キャリア:特になし

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諏訪部貴大

ドラフト年:2009年
指名球団:中日3位
進路:HONDA鈴鹿
理由:指名順位に納得いかない

社会人の名門野球部「HONDA鈴鹿」のエースだった諏訪部投手。同様に
『4位指名以下プロにはいかない』と宣言して向かったドラフト会議でしたが、結局はドラゴンズが6位で指名しました。

社会人出身の自分が大学生よりも低い評価を受けたことに最後まで納得ができなかったと言われています。
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高見 泰範

ドラフト年:1995年
指名球団:阪急5位
進路:東芝
理由:指名順位の低さ
元オリンピックの日本代表キャプテンの高見選手
西崎幸広とバッテリーを組んでおり、愛知大学リーグ最高キャッチャーです。当時の古田敦也と日本代表正捕手の座を分け合うほどの選手だったのにも関わらず、ドラフト5位だったのはなぜか未だに疑問が残る選手の一人です。
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佐藤雄偉知

ドラフト年:2014年
指名球団:中日育成1位
進路:HONDA鈴鹿
理由:育成枠指名
東海大相模高校の2番手投手でしたが、潜在能力の高さを買われてドラゴンズが指名しました。しかし契約が「育成枠指名」だったことが原因で入団拒否に至っています。
 
同校の一学年下には同ドラゴンズの小笠原慎之介投手がドラフト1位指名されています。

育成指名は酷

育成指名は通常の支配下登録とは違いプロでの生活も過酷なものになっています。

支配下登録
契約年数:都度
契約金:1億円~2000万円
最低年俸:480万円
背番号:1桁~2桁
試合:全試合可

育成指名
契約年数:上限3年
契約金:300万円
最低年俸:240万円
背番号:3桁
試合:二軍戦のみ

レギュラーになれるのは100人で一人ともいわれる、育成登録ですが、「千賀滉大」のように日本のエースになった投手もいます。

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尾崎健夫

ドラフト年:1971年
指名球団:ヤクルト3位
進路:プロゴルファー
理由:ゴルフの選手寿命の長さ
ジャンボ尾崎こと尾崎 将司選手が元プロ野球選手であることは有名ですが、その弟であるジェット尾崎こと尾崎 健夫はドラフト指名されたほどの逸材でした。
 
元プロ野球選手の兄から
「ゴルフの方が長く現役が続く」
とアドバイスをされプロゴルファーになることを決意したといわれています。
 
実際、70歳近い現在でもシニアゴルフと続けており、通算でツアー15勝とゴルフ界で大活躍をしました。
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石井章夫

ドラフト年:1996年
指名球団:大洋2位
進路:東京ガス
理由:社会人が安定
東京6大学リーグでは2度のベストナインに輝くなど、輝かしい成績を収めていた、石川選手でしたが、ドラフト指名を拒否します。プロの生活の不安定さと社会人野球の安定さを比べた結果。名門野球部の「東京ガス」へ進路進みます。そして、2017年には社会人野球の日本代表監督として、再び日の丸を背負うことになりました。
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開田博勝

ドラフト年:2000年
指名球団:オリックス5位
進路:三菱重工
理由:契約金0枠
法政大学の中心選手として活躍した「開田博勝」選手でしたが、「契約金0枠」にその野球人生を左右されました。
 
退職金がないプロ野球選手にとって、契約金は非常に大切です。試行一年目でルールがあいまいだった状態の指名ということもあり、ドラフト指名を拒否しました。
 
その後、開田博勝選手は名門三菱重工業の選手として、監督として活躍することができました。
 
「契約金0枠」ドラフト5位以下の選手に対して、契約金を支払ずその分年俸を高める制度
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斎藤義典

ドラフト年:1996年
指名球団:近鉄5位
進路:本田技研
理由:関東球団を志望したため
96年のナンバー1投手と評価された斎藤投手、
本人は、「関東の球団」を志望したため
プロ入りはなりませんでした。
本人自身も怪我を抱えていたこともあり、踏ん切りがつかなかったとされています。
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杉山孝一

ドラフト年:1985年
指名球団:ヤクルト5位
進路:日本製鉄
理由:都市対抗へのこだわり
都市対抗野球へのこだわりを持っている杉山選手
 
1994までに14本塁打を放っており、
 
都市対抗野球の歴代最多本塁打の記録は今でも破られていません。
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増永祐一

ドラフト年:1984年
指名球団:ヤクルト4位
進路:日本石油
理由:地元への貢献
鹿児島実業のエースであり、高校生代表のエースでもあった、増永投手。増永投手の地元、喜入町に工場を持つ日本石油の監督が松永選手の獲得を熱望。受講の末、社会人野球への道を決断しました。
 
プロ野球_ドラフト会議情報局

プロ野球のオフシーズンの最大の見どころはドラフト会議でしょう。ドラフトの1位のスター選手の獲得から、ドラフト下位指名の掘り出し物まで、楽しみが付きません。

この記事をよめば、12球団の選手構成から、各球団が指名するべきドラフト選手がわかります。

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